2年で5億円超、それでも消えない店
2025年5月、東京・五反田駅近くの個室マッサージ店が摘発された。店長ら男女9人が逮捕され、2023年11月からの営業で約3億5,000万円を売り上げていたとされる。看板はなく路上で「1万円で最後まで」と声をかけて客を集める手口だった。
それから約1年後の2026年6月、同じ東五反田エリアで別の個室マッサージ店が摘発された。経営者ら4人が逮捕され、2024年7月からの営業で約1億8,000万円の売上が確認されている。こちらも看板なし・路上客引きという同じ手口だ。
2件合わせて約5億3,000万円。2年あまりの間に同じエリアで同じ手口の店が摘発され、それでもまた次の店が現れる。なぜ五反田では違法風俗が根絶されないのか。その答えはこの街の100年にわたる歴史の中にある。
大正時代に始まった「歓楽街」の土壌
五反田が歓楽街として歩み始めたのは大正時代のことだ。
1911年(明治44年)に山手線の駅が開業した五反田は、大正時代に入ると星製薬所の大規模な工場が構えたことで発展していった。そして1921年(大正10年)、麻布から4軒の芸者屋が移ってきたことが花街の始まりとされている。
その後、1923年の関東大震災が五反田の発展を加速させた。東京の東側の下町が壊滅した一方で五反田はほぼ被害を受けず、1925年(大正14年)に料亭・芸者置き屋・待合を備えた三業地として認定された。芸者屋58軒、芸者220人、料理店25軒、待合45軒を有する、東京屈指の花街となった。
戦後になると花街としての機能は低下していく。しかし飲食店やホテルなどが集積する歓楽街的要素はそのまま残り、ラブホテルやファッションヘルスが密集する性都として発展した。
つまり五反田の「夜の街」としての歴史は、違法店が現れるずっと以前から積み重なっている。大正時代の花街から数えればおよそ100年にわたって「性を売る街」としての土壌が形成されてきた。
「五反田式」という業態の確立
近年の五反田における違法風俗には明確な「型」がある。
業界では「五反田式」と呼ばれるこのモデルの特徴は、看板を出さない・ウェブサイトを持たない・路上で直接客引きするという3点だ。「1万円で最後まで」「マッサージどうですか」といった直接的な声かけで客を雑居ビルの一室に誘導し、個室でサービスを提供する。
このモデルが確立した背景にはいくつかの合理性がある。看板やウェブサイトがなければ当局が営業実態を把握しにくい。路上での客引きは違反行為だが、店舗の存在自体を隠せるという利点がある。1万円という低価格設定は客の心理的ハードルを下げ、高回転での営業を可能にする。
キャストは中国人・モンゴル人・ベトナム人など東アジア・東南アジア系の女性が中心だ。在日外国人コミュニティを通じて比較的容易に集められ、言語の壁から法的リスクを十分に理解しないまま働かされているケースも少なくないと見られている。
この「五反田式」は五反田にとどまらず、他の繁華街にも影響を与えた。「五反田には『一万円で本番』ができる五反田式と呼ばれる違法マッサージ屋が数店舗ある。それを真似して歌舞伎町に作ったといわれる歌舞伎町式の風俗店は約3カ月前に同容疑で摘発されている」という報道がある。業態としての完成度が高いからこそ、他のエリアにも「輸出」されたということだ。
条例があっても変わらない現実
五反田の客引き問題は以前から行政が対応してきた課題だ。
品川区は2015年7月1日「公共の場所における客引き行為等の防止に関する条例」を施行した。東五反田1・2丁目、西五反田1・2丁目が客引き行為等防止特定地区に指定され、指導に従わず客引き行為を繰り返すと5万円以下の過料に処されることになった。
しかし条例施行から10年以上が経過した現在も路上客引きは続いている。2025年5月に摘発された事件では客引きに関する通報が2024年に79件、2025年は5月19日までに55件と昨年を上回るスピードで相次いでいた。
なぜ条例があっても変わらないのか。理由はいくつかある。
まず5万円以下の過料という罰則が売上に比べて軽微すぎる。1日に数十万円を稼ぐ店舗にとって5万円の過料は経営上のリスクとして機能しない。
次に「いたちごっこ」の問題がある。客引きが摘発されても翌日には別の人物が同じ場所に立つ。グループとしての営業は続けながら個々の摘発は使い捨てとして処理される構造だ。
さらに重要なのが「店舗の移転が容易」という点だ。2025年に摘発された店舗は前年に行政指導を受けた後、場所を変えて看板を出さずに営業を続けていた。初期投資が極めて低いビジネスモデルのため、摘発されても別の物件に移ればほぼゼロから再開できる。
「五反田バレー」と「裏の五反田」の共存
現在の五反田は「二つの顔」を持つ街だ。
IT企業やスタートアップが集積する「五反田バレー」として知られる一方で、東口の繁華街では違法風俗が根強く残る。この二面性は偶然ではなく五反田という街の地理的・歴史的特性によるものだ。
山手線・東急池上線・都営浅草線が交差するターミナルという利便性は、オフィスワーカーとサービス業の双方を集める。昼はIT企業の社員が行き交い、夜は繁華街に客が集まる。ラブホテル街と隣接する東口の構造は、短時間・低価格の性風俗ニーズと地理的に一致している。
再開発が進む西口側と変わらない東口側。この非対称性が五反田の現在を形作っている。雑居ビルが密集し高架下の入り組んだ構造が残る東口エリアは、看板なし・隠密型の営業に適した環境でもある。
なぜ摘発されても消えないのか
ここまで整理すると違法風俗が五反田から消えない理由が見えてくる。
需要が消えない
1万円という価格設定は性風俗の中では最低水準に近い。景気に関わらず一定の需要が存在し、むしろ経済的に厳しい時期には需要が高まる傾向がある。五反田駅周辺というアクセスの良さも広域から客を集める。
供給コストが極めて低い
マンションの一室があれば開業できる。看板も内装も不要で初期投資はほぼゼロに近い。摘発されて失うものが少ないため、リスクに見合うリターンが成立しやすい。
グループの再組織が容易
外国人コミュニティを通じてキャストと客引きを集めるモデルは、摘発後の再組織が比較的容易だ。逮捕されたメンバーが入れ替わってもネットワーク自体は残る。
法的なグレーゾーンの活用
個室マッサージ・メンズエステという形態は、外形上は合法的なサービスとして存在できる。性的サービスの提供を立証するには実際の摘発が必要で、証拠収集に時間がかかる。その間、営業を続けられる。
この4つの条件が揃う場所は日本各地にあるが、五反田はそこに100年の歴史的土壌と交通利便性が加わっている。
通報件数が示す「見えない需要」
2025年5月の摘発事件では2024年1月以降で客引きに関する通報が134件に上ったとされている。通報件数が多いということは、それだけ多くの人が客引きを目撃しているということだ。
しかし同時に、通報した人と同じ場所で客引きに応じていた人も大勢いたということでもある。摘発された店舗では1日あたり計30〜50人の客が利用していたとされる。通報が続く一方で客足は途絶えなかった。
「迷惑だ」と感じる人と「利用したい」と思う人が同じ空間に存在する。この構造こそが五反田の違法風俗問題の本質だ。需要がある限り、供給は形を変えながら続く。条例や摘発は行為を抑制する効果はあっても、需要そのものを消すことはできない。
「摘発」と「撲滅」の間にあるもの
今回の2件の摘発は、警察の取り締まりが機能していることを示している。一方で、ほぼ同じエリアで同じ手口の店が繰り返し現れるという事実は、摘発が根絶につながっていないことも示している。
五反田が歓楽街として形成されてから100年。その間に売春防止法が制定され風営法が改正され、客引き防止条例が施行された。それでも「夜の五反田」は形を変えながら存続してきた。
違法風俗を社会から完全に排除することが目標なのか、それとも管理と抑制の中で共存していくことが現実的な落としどころなのか—この問いは五反田だけでなく、日本の性産業政策全体に突き刺さっている。

